1970 Anpo History

1970年安保闘争史年表

1965年(昭和40年)~1973年(昭和48年)


1965年(昭和40年)

1・21 慶応大学で、授業料大幅値上げ(十三万円が二十八万五千円になる)に反対して、全塾自治会の学生が学内で十時間にわたり学費値上げ阻止抗議集会。理事に詰め寄り、高村象平塾長に会見を要求する。
1・23 慶応大学、塾長会見がすっぽかし。これに抗議して、学生らが一部授業放棄。
1・28 東京地評青婦協主催の原潜阻止・日韓会談粉砕・春闘勝利・首都青年婦人決起大会に、五千人が参加、集会とデモをおこなう。慶応大学、大学側が学費値上げ白紙還元に拒否回答。三田校舎で一時間目から授業放棄。日吉校舎では、前日に引き続き前クラスで一時間目から授業放棄。校門をバリケード封鎖。初の全学ストライキ。
2・1 慶応大学日吉校舎、無期限ストライキに突入。
2・3 都学連再建準備会、原潜寄港抗議闘争に三百人参加。夜、総評主催の集会に参加。
2・4 総評など主催の原潜入港抗議緊急大阪府民集会が開催。学生百人が参加。
2・5 慶応大学の授業料値上げ問題で、塾長が入院先に学生代表を呼び、連合三田会の斡旋案を塾長提案とすると提案。これを学生が受け入れ、学費値上げ反対闘争は事実上終結した。
2・10 日韓会談反対・原潜阻止中央集会(社会党・総評主催)。都学連六百人参加、集会後デモ。
2・17 都学連再建準備会を中心とする六百人の学生、椎名訪韓阻た羽田現地実力闘争。
3・? 第四インター日本支部発足。
3・13 社学同大会。独立派、ML派が統一派を結成。
3・30 社青同解放派結成。
4・7 都学連再建準備会、アメリカのべトナム侵略戦争抗議行動。四百人が米大使館ヘデモ。
4・16 都学連再建準備会、べトナム戦争反対・日韓会談粉砕抗議行動。一千人が米大使館座り込み。
4・24 ベ平連(ベトナムに平和を!市民文化団体連合)が初のデモ行進。発起人は、小田実、開高健、堀田善衛、高橋和巳、篠田正浩など。
4・26 アメリカのべトナム侵略抗議国民総決起集会。社会党・総評・中立労連など四万人が集会とデモ。昼は都学連三千人の学生・労働者が特許庁前で、夜は学生が数寄屋橋交差点で座り込み闘争を展開。
5・21 各派、べトナム侵略戦争阻止・日韓条約調印粉砕の統一行動。五千人参加。
6・4 京都・大阪・兵庫の三府県学連、べトナム侵略戦争反対・日韓会談反対の全関西学生総決起集会。六千人参加。
6・9 べトナム戦争反対国民行動日で、社共の一日共闘が実現。七万人が参加。都学連再建準備会は昼夜で八千人が抗議デモ。
6・15 六・一五記念集会。
6・22 日韓基本条約協定調印をめぐり、ソウルと東京で、学生たちが激しい反対デモを展開。
7・8 都学連(三都全学連)再建第十四回大会、都学連再建さる。マル学同中核派・社学同・社青同解放派など十一大学・二十六自治会が参加。北小路敏(革共同全国委)、東京都議会議員選挙に革新無所属から立候補。
8・1 日韓条約批准阻止・べトナム侵略反対労働者学生総決起集会。革共同全国委・共産同統一委員会派・共産同マル戦派・長崎造船社研・第四インターなどの革命的左翼の主な潮流が参加。
8・14 べ平連主催の「戦争と平和を考える徹夜集会」。
8・30 社会党・総評・社青同が中心となり、「べトナム戦争反対・日韓条約批准阻止のための青年委員会」(反戦青年委員会)を結成。総評青年部・中立労連青年協議会・社青同中本・同東京地本・東京都学連など七十七の団体・個人が参加。
9・14 都学連、日韓批准阻止をかかげて再建後初の統一行動。一千人参加。
9・21 高崎市議会が高崎市立高崎経済大学の授業料値上げを提案しようとする動きに対し、高崎経済大学の学生五百人が、市庁舎内になだれ込み、議場前廊下に座り込み。警官隊が導入され、ゴボウ抜き。五人が不退去罪で逮捕。学生二十人、警官十三人が負傷。
9・22 お茶の水女子大、新学生寮管理規定に反対のストライキ突入。10月1日まで続く。
10・2 京都府学連大会。日韓批准阻止を決定。
10・5 日韓条約批准国会開会。都学連と社青同労働者が決起。昼三千人、夜二千人が国会デモ。
10・12 日韓条約反対第二波統一行動。総評・中立労連・社青同・都学連など十万五千人が国会請願デモ。都学連二千人は国会前座り込み。都学連は昼も二千人が独自に集会とデモ。
10・15 反戦青年委員会結成後初の全国青年総決起行動。都学連二千六百人をはじめ一万七千七百人が国会へジグザグデモ。国会前で全参加者が座り込み。
10・26 賃上げ要求で公務員共闘、半日スト中止。
10・29 各派、日韓条約批准粉砕全国統一行動。全国二十四ヵ所で、一万数千人が参加。都学連は七千五百人が国会にデモ。このころから機動隊の弾圧が激しくなり、デモ隊の両側を並進規制が一般的となる。
11・5 東京都反戦青年委員会主催・首都青年婦人学生総決起大会が日比谷野音で開く。学生三千人、労働者一万四千人が日韓条約批准阻止のため国会包囲のデモと座り込み。国会構内に侵入した一人を含め、学生四十一人が検挙される。京都反戦青年委員会も四千人がデモ。
11・6 日韓条約が衆議院特別委員会で強行採決されたのに抗議し、総評・反戦青年委・都学連の緊急闘争。昼二万五千人、夜一万人が国会前および街頭でデモ。
11・7 日韓条約強行採決に反対して東京地評などの労働者五千人が街頭デモ。
11・8 日韓条約反対の集会とデモ。十六都道府県、三十一ヶ所で二万八千人が参加。東京では公安条例違反などで七人が逮捕される。
11・9 社共共催の日韓条約粉砕国民統一行動。全国で二十三万人が参加。都学連は一万二千人が参加し、国会前で反戦青年委とともにジグザグデモと座り込み。10~13日まで連日一万~二万人の規模で日韓条約反対の国会デモが続く。
11・12 国鉄労組、日韓条約強行採決に抗議のスト。都学連三千人、昼のデモののち、夜は東京駅ホームでスト支援。
11・13 自民・民社が日韓特別委員会設置を強行。日韓条約反対第二次統一行動。
11・16 ベ平連がニューヨークタイムス紙朝刊に、「爆撃がベトナムに平和をもたらすだろうか=日本国民からの訴え」と題した1ページ広告を掲載。
11・19 全国実行委員会主催の集会とデモ。七千人参加。都学連は五百人参加。
11・26 全国実行委員会・中央実行委共催の日韓阻止統一行動。七万人参加。都学連二千人参加。
12・3 都学連、国鉄運賃値上げ抗議闘争に三百人参加。アメリカのマルクス主義理論家ドナエフスカヤ女史来日。各地で戦闘的労働者・学生と交流。
12・4 全国実行委・中央実行委共催の日韓条約粉砕統一行動。都学連参加。
12・7 全国反戦青年委主催の日韓粉砕青年労働者・学生統一行動。七千人が国会デモ。
12・8 早稲田大学で、創立八十周年記念で建設された第二学生会館の管理運営権をめぐり、大学当局と対立した学生が本部正面玄関に看板やイスを積み上げバリケード封鎖し、座り込み(=早大学館闘争)。
12・11 参院本会議で、自民・民社だけで日韓条約を可決。この日未明、早大に機動隊二百人が導入され、占拠する学生を実力で排除。公務執行妨害で一人逮捕。
12・17 都学連を中心とする全国学生一千人、日韓批准の椎名外相訪韓実力阻止闘争。羽田空港付近で機動隊と衝突、十五人逮捕される。
12・20 東大・名古屋大・群馬大病院で、インターン約三百四十人が身分保証などを要求し、診療拒否。

1966年(昭和41年)

1・18 早稲田大学で学費値上げに反対して全学ストライキ突入。
1・20 早大、学費値上げ反対と第二学生会館管理運営要求もあわせ、無期限ストに突入。
1・24 早大、期末試験延期。
2・1 中国「人民日報」に劇作家・田漢を批判する論文が掲載。文化大革命がスタートする。
2・2 早大、全学共闘会議(大口昭彦議長)主催の全学討論会が開催。
2・10 早大、学費値上げをめぐって、反日共系学生が本部を占拠し籠城。
2・21 早大当局が機動隊を導入し、学生千五百人を排除するが、学生一万人が再占拠。
2・22 早大、機動隊が構内に乱入し占拠していた学生二百三人を排除、逮捕。大学当局によりロックアウト。
3・8 佐藤首相、安保条約は70年以降も存続性を処理する必要があると発言。
3・27 都学連第十五回臨時大会開く。
3・28 マル学同中核派・社学同統一派・ML派・社青同など全国自治会代表者会議開く。
4・17 早大、期末試験再開を目論んで、体育会系学生とOBが教育学部のバリケードを撤去。これを阻止しようとした共闘会議の学生と乱闘になり、双方で二十名が負傷。
4・23 早大、大浜信泉学長が紛争解決のためと辞意を表明。
4・28 全国学生統一行動。都学連は早大に二千人が結集して、大学設置基準改悪阻止・教員免許法改悪阻止・外国人学校制度設置反対のデモ。医学連は千五百人がインターン制度廃止を掲げ厚生省へデモ。
5・10 大浜学長の辞意が認められ、阿部賢一氏が総長代行に就任。都学連、中国の核実験で百人が華商会館に抗議。
5・17 反戦青年委、ベトナム侵略戦争反対中央総決起集会を開く。青年労働者・学生四千人が国会デモ。
5・18 都学連、教職員免許法・大学設置基準改悪阻止の文部省デモに二千人が参加。
5・27 都学連、原潜横須賀入港阻止決起大会で四百人がデモ。
5・28 米原潜スヌック入港を翌日に控え、横須賀現地で労働者・学生八千人が原潜寄港阻止横須賀大集会を開く。都学連学生五百人と労働者百人は基地に向けて激しくジグザグデモ。
5・30 米原潜スヌックが横須賀基地に入港。労働者・学生ら二千五百人が阻止集会、デモ行進。
5・30 労働者・学生一万五千人が原潜寄港抗議行動。都学連は三百人が基地正門を突破して機動隊・MPと衝突。昼は神奈川県下の労組員を中心に抗議集会、夜は都学連三千人を中心にデモ。
5・31 労働者・学生一万二千人が、原潜寄港抗議行動。
6・1 労働者・学生三万五千人が原潜寄港抗議行動。都学連二千人は四時問にわたって機動隊と激突しながら基地ゲート前座り込み闘争を展開。神奈川反戦・社青同などの一部労働者と合流した。
6・15 革共同全国委・共産同(マル戦派)・共産同統一委主催六・一五記念政治集会が開かれる。二千七百人が参加した。
6・20 べトナム侵略・米軍王子野戦病院設置反対都民集会。全都から労働者など千五百人が参加。反戦青年委が、野戦病院設置予定地で座り込み。
6・23 早大、一文スト解除により、学費値上げ闘争が終結。
6・24 青医連・医学連・インターン制廃止統一行動。
7・1 ハノイ爆撃抗議緊急集会に三千人が結集。都学連二百人と地区反戦青年委は、米大使館にデモ。
7・4 関西の労働者・学生五千人が、ラスク米国務長官来日阻止の伊丹空港闘争を展開。京都で、反戦青年委・学生六百人が抗議デモ。
7・5 反戦青年委、ハノイ爆撃抗議行動。一千人参加。都学連・地区反戦青年委の五百人がデモ。京都で労働者・学生二千人が日米貿易経済合同委員会粉砕のデモ。
7・6 京都で、ハノイ爆撃抗議・ラスク訪日抗議の全関西決起集会。労働者・学生一万人が参加した。
7・16 都学連第十六回大会開催。十三大学・二十六自治会、千二百人が参加。
7・18 都学連・京都府学連などが、全学連再建のための予備会談を開く。
7・19 65年6月の日韓条約調印抗議行動の際に、警官の弾圧で片足切断の手術をうけた日大生・和井図史朗君が患部の悪化で死亡。
7・20 都学連主催、和井図史朗君迫悼抗議集会。百五十人が告別式のあと警視庁ヘ抗議デモ。
7・? 革マル派全学連、第二十回全国大会開催。
8・6 反戦青年委が、広島反戦青年学生集会を開き、八百人が参加。
8・11 べ平連主催「べトナムに平和を! 日米市民会議」が開かれる(~14)。桑原武夫、丸山真男、日高六郎、久野収、北小路敏、藤田省三、中野重治などが出席。
8・28 原潜スヌーク号佐世保寄港に抗議して集会、佐世保で一万人がデモ。稲城・多摩ホークミサイル基地設置反対集会。市民・反戦青年委など三千人が参加。
9・1 ブント(共産主義者同盟)のマル戦派と統一派が合流し、第二次ブントを結成。
9・5 原潜横須賀寄港抗議闘争に五千人が参加。都学連七百人がデモ。
9・7 原潜横須賀寄港抗議闘争に三万人が参加。都学連千三百人は機動隊のサンドイッチ規制をうち破り、反戦青年委を中心とした労働者は基地ゲート前に座り込み、ジグザグデモ。
9・18 ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボワール来日。東京と京都で「知識人を弁護する」という題で講演。
9・22 全学連再建実行委、べトナム反戦全国統一行動。東京で七百人がデモ。全学連再建準備会結成大会に全国から二十六大学・五十五自治会、千四百人参加。十二月全学連再建を決議。
10・14 京都・大阪でべトナム反戦統一行動。京都で労働者五千人と学生五百人が、大阪では学生を含め労働者二万人が集会とデモ。
10・18 京都・大阪で反戦青年委・学生がべトナム反戦統一行動。京都で六百人、大阪で千五百人が集会とデモ。
10・19 アナキスト系のベ反委(ベトナム反戦直接行動委員会)の青年、十五、六人が田無市の日特金属工業を襲撃、事務所の電話や電源スイッチを破壊した。日特金属は機関銃の製造会社とされていた。三人が暴力行為で逮捕される。
10・20 全学連再建準備会、べトナム戦争反対・総評ゼネスト支持中央集会。三千人がデモ。
10・21 べトナム戦争阻止、総評中立労連第三次統一行動。日教組を中軸にべトナム反戦スト。中央集会は労働者三万人で開かれ、全学連再建準備会の学生千六百人が参加。集会の後、デモ。大阪で一万人、京都で七千人の労働者。学生が集会とデモ。
10・24 全学連、東京・大阪・広島・札幌で紀元節復活公聴会阻止闘争。広島で三百人が会場デモ。
11・6 広島大学の学生五十人、第三次防衛計画粉砕をかかげて自衛隊武装パレードに抗議。
11・9 京都府学連の七百人が、アメリカの神戸領事館にべトナム侵略戦争反対の抗議デモ。
11・12 「社革新」と「日本のこえ」派が合同し、共産主義労働者党(共労党)を結成。議長に内藤知周氏、書記長に、いいだもも氏が選出される。
11・23 明治大学、学費値上げに反対して、明治大学学生会が和泉校舎を封鎖。文・法・商・政経・経営学部の一、二年生が無期限の授業放棄闘争に突入。
11・30 明大全学闘委、学費値上げ阻止の大衆団交。四千人が結集。
12・1 明大、駿河台の本校もストライキに突入。
12・3 医学連、インターン制度固定化阻止の抗議集会とデモ。無期限ストの東大医学部・東京医科歯科大を中心に一千人が参加。
12・9 中大自治会、学生会館の学生自主管理・処分撤回を要求して全学ストに突入。
12・15 明大のストに右翼学生が殴り込み、学生二名が瀕死の重傷を負った。
12・17 全学連(三派系)再建大会(~19)。三十五大学。百七十八自治会が参加。委員長に斎藤克彦氏(明大、社学同)、書記長に秋山勝行氏(横浜国立大学、マル学同中核派)、副委員長に高橋孝吉氏(社青同解放派)と蒲池裕治氏(社学同)を選出。三派全学連が誕生する。これにより、全学連は、日共=民青系、革マル派、三派系の三つが対立して存在することになる。
12・25 中大学館闘争、学生会館の学生運営権を獲得、全面勝利する。

1967年(昭和42年)

1・20 明治大学全共闘、学費値上げ白紙撤回を要求して大衆団交。一万五千人が結集。
1・22 高崎経済大学、不正入学に反対して、バリケードストライキに突入。
1・30 明大、前日、理事と学生代表の話し合いが決裂し、小出学長ら七人の理事が缶詰状態になったため、機動隊二百九十人が出動。学内にいた三百人の学生を実力で排除した。体育会系学生がバリケード封鎖を解除。紛争未解決のまま、授業が再開される。
2・2 明大で体育会の右翼テロが横行。学費値上げ問題は学生会の譲歩により、理事会の決定を認める覚書に調印、急転直下終結、学費は値上げされることになった。
2・10 国際基督教大生、入試への能研テスト導入に反対して本館に籠城。
2・19 全学連拡大中委は、明大闘争を裏切った斎藤克彦委員長を追放、新たに委員長に秋山勝行氏(横国大、マル学同中核派)、書記長に高橋孝吉氏(早大、社青同解放派)を選出。
2・20 明大学生、学費値上げ撤回・入試阻止闘争を展開。四百人が国電お茶の水駅構内でデモ、座り込んだため、中央線や総武線がマヒ。電車十六本が運休した。学生九人が検挙。
2・23 原潜スカルピン号横須賀寄港抗議行動。労働者二千人、全学連三百五十人参加。
2・24 沖縄の労働者・学生二万人、教公二法案に反対し、立法院上呈を阻止。
2・26 砂川基地拡張阻止青年学生決起集会。反戦青年委の労働者・全学連千五百人が参加し、デモ。警官隊と衝突し、十人逮捕、二十七人負傷。
3・12 高崎経大学生、不当処分に抗議して全学無期限ストに突入。
3・31 元全学連委員長・北小路敏氏、東京都議選に杉並区から革新無所属で立候補。
4・13 高崎経済大生に、三度目の大量処分。のべ五十八人にのぼる。
4・15 アメリカの反戦闘争に連帯してべ平連の反戦デモ。市民・学生五百人参加。大阪反戦青年委などの主催で国際連帯デー、べトナム反戦・金東希を守る大阪集会。労働者・学生二百人参加。
4・28 四・二八沖縄デー。労働者・学生五千人が集会とデモ。全学連、昼は千五百人がデモ、夜も労働者とともに闘う。アメリカで、ボクサーのムハマド・アリが、宗教上の信念に従って徴兵を拒否。
5・26 全学連、砂川基地拡張阻止・公安条例撤廃のデモ。二千人参加。九大生、九大祭・寮祭の仮装行列に対する福岡県警の不当干渉に抗議、二千人がデモ、県庁内で集会。
5・28 三多摩反戦青年委・全学連主催の砂川基地拡張阻止・青年学生総決起集会。青年労働者・学生一万二千人が結集、正面ゲートなどへ抗議のデモと座り込み。機動隊の暴力で、岡山大宮崎君の重傷をふくめ五百人が負傷。革マル派二百五十人が独自に集会。
6・9 全学連、砂川基地拡張実力阻止・学費値上げ反対の集会とデモ。一千人参加。京都で三千人がデモ。
6・10 東京教育大学の評議会が筑波研究学園都市に移転を強行決定。
6・14 東京教育大筑波移転問題をめぐり、学生がストに突入。
6・15 第七回六・一五記念集会。共産同は全電通会館、中核派は九段会館、社青同解放派は両国公会堂、社学同ML派は明治大学、革マル派は早稲田大学、日共=民青は日比谷公園、アナキスト系は豊島振興会館と、分裂集会になった。
6・19 全学連、中国水爆実験に抗議、華僑会館に緊急デモ。百人参加。
6・20 べトナム反戦大阪府民集会。五千人参加。大阪府学連・兵庫県学連二千人デモ。全学連、原潜バーブ号横須賀寄港阻止の現地デモ。二百人参加。三里塚・芝山連合空港反対同盟、大橋連輸相の成田来訪阻止闘争。一千人が成田駅頭・成田市役所前で座り込み。教育大の学生五十人が、移転反対で三輪学長宅に押しかけ、出かけようとした学長の車を取り囲んで座り込み。その後、三百人に増えた学生のため、交通がマヒし、機動隊が出動、学生を排除した。
6・23 全学連、外国人学校制度設置反対の集会に参加、二百人がデモ。
6・25 全学連、原潜横須賀寄港抗議闘争。九百人参加。
6・30 全学連、佐藤訪韓阻止の羽田闘争。三百人が、空港付近で機動隊と闘う。
7・9 べトナム侵略反対・エンタープライズ寄港阻止・沖縄返還・砂川基地拡張阻止大集会。五万人が参加。全学連六千人、反戦青年委二千人は、基地正門前で座り込みデモ。革マル全学連大会。
7・12 全学連(三派系)定期全国大会。四十四大学・八十五自治会、二百七十五代議員の千五百人が参加。秋山勝行委員長を再選。事実上、これが三派全学連としては最後の大会となった。
7・17 全学連、交通局再編につき都議会に抗議、議長の要請で機動隊が導入され、学生を排除。
7・20 都議会最終日、都議会の一切の傍聴を禁止、機動隊を導入し、労働者・学生を排除。学生四十二人逮捕される。
8・5 成田新空港反対のため小中学生二十人が少年行動隊を結成。
8・6 全国反戦青年委主催広島青年学生反戦集会。全学連(三派系)は原水爆禁止全国青年学生反戦集会を開く。全国の労働者・学生二千五百人が結集。
8・15 原潜スキャップ号横須賀入港抗議行動。労働者・学生二千五百人参加。千葉市で三里塚空港反対・強制測量実力阻止、八・一五平和集会。反対派農民など五百人が県庁に座り込んだため、警官隊が実力排除。少年行動隊の十一人が知事に抗議。
8・17 山谷地区で労務者同士の争いを浅草署の警察官が取り調べようとしたことから暴動に発展。マンモス交番やパチンコ店が襲撃された。
8・18 前夜につづき山谷の労務者千五百人が集合。解散させようとした警官隊と争いになった。労務者たちはバスや乗用車に投石。
8・20 三晩めも二千人の群集が山谷地区に集まり、バットや石で住宅のガラスなどを壊しはじめたため、警官隊がこれを規制。騒ぎを煽動したとしてアナーキスト一人が逮捕される。
8・23 原潜スキャップ号横須賀入港抗議集会。労働者・学生一万二千五百人結集。
9・14 法政大、自治会指導者七人の不当処分抗議闘争で前日から学生千人と大学当局の団体交渉が続いていたが、午前一時すぎ、大学側は機動隊五百人を導入。学生は放水やゲバ棒などで抵抗したが、二百八十五人が公務執行妨害などで逮捕される。
9・20 全学連、佐藤第一次東南アジア訪問阻止羽田闘争。三百人が羽田空港にデモ。
10・8 佐藤首相の訪べトナム(訪ベト)の実力阻止のため、全国三十数大学から反日共系学生二千五百人(警視庁調べ)が集合。羽田空港出入り口付近の海老取川にかかる三つの橋で機動隊と衝突。弁天橋上で、京大生山崎博昭氏(十八歳)が虐殺される。正午すぎ、山崎博昭氏虐殺の報にほとんどの部隊が稲荷橋に結集して抗議集会。北小路敏・元三派系全学連委員長ら五十八人が検挙される。機動隊は六十年安保闘争以来のガス弾を使用した。
10・9 各大学で、山崎博昭氏虐殺抗議の集会とデモがおこなわれる。キューバ革命の指導者の一人、ゲバラが、ボリビアでゲリラ活動中に捕えられて処刑されたと、ボリビア政府が発表。ゲバラは三十九歳だった。
10・10 空港公団、機動隊二千人を動員して三里塚空港杭打ちを実施。反対同盟一千人が阻止行動。
10・16 羽田事件捜査のため、法政・早稲田・中央の三大学に機動隊が導入される。アメリカの三十の都市で反戦デモ。
10・17 日比谷野外音楽堂で、虐殺抗議・山崎博昭氏追悼中央葬。一万人参加。集会の後、遺影を先頭にデモ。演説のために姿を現した秋山勝行三派全学連委員長が羽田闘争の指揮者として東京駅前で逮捕される。
10・20 国労、べトナム侵略戦争反対・米タンク車輸送拒否順法闘争。立川貨物駅で支援労組員・学生三千人、神奈川県浜安善で同じく八千人が集会とデモ。
10・21 べトナム反戦集会。全国四十四都道府県で百四十万人参加。中央集会は昼夜二回にわたって六万人参加。全学連七千人参加。京都では二千人の学生が市庁前に座り込みをおこなった。
11・3 全学連、三里塚闘争に初めて組織的に参加し、反対同盟とともに集会・デモ。沖縄で祖国復帰協総決起大会、十八万人参加。
11・9 沖縄・小笠原の即時・無条件・全面返還、サンフランシスコ「平和」条約第三条撤廃要求中央集会。一万人参加。全学連三千人が参加。
11・10 佐藤訪米阻止、京都・大阪・兵庫三府県学連総決起集会。二千人が大阪市内デモ。
11・11 佐藤内閣のべトナム侵略戦争荷担に抗議して、エスペランチストの由比忠之進さん(73歳)が首相官邸前で焼身自殺。
11・12 佐藤訪米実力阻止羽田闘争(第二次羽田闘争)。全学連三千人は、京浜蒲田駅から大鳥居駅付近で十時間にわたり阻止線をしく機動隊と激闘。機動隊は、十分間で七十七発のガス弾を発射。反戦青年委は日比谷で五千人が集会の後、羽田ヘデモ。民学同・フロントなど構改派系学生もデモ。三百三十三人検挙、負傷者百八十人。
11・13 ベトナムで北爆に参加していた米兵四人が、北爆反対のために脱走したことをベ平連が明らかにする。
11・22 全学連、破防法粉砕統一行動。五百人参加。エンタープライズ寄港阻止神奈川県大集会。青年労働者・学生千五百人参加。
11・28 脱走米兵への支援に反対する右翼がベ平連に乱入。

1968年(昭和43年)

1・13 中央大昼間部自治会、学費値上げに反対して全学ストに突入。
1・15 佐世保でエンタープラィズ寄港阻止闘争、中核派の学生約二百人が、法政大学を出たところで機動隊と衝突、学生百三十一人が凶器準備集合罪などで逮捕されるが、逮捕を逃れた七十人が急行「雲仙・西海」で佐世保へ。
1・16 博多駅に待機していた機動隊千三百人が佐世保駅に到着した反日共系学生四百人と衝突。
1・17 佐世保でエンタープライズ帰港阻止闘争。全学連千五百人が佐世保の平瀬橋上で機動隊千四百人と衝突。二十七人逮捕。福岡(九大生一千人)、京都(反戦七百人)、札幌(学生三百五十人)など各地で抗議行動。
1・18 社共主催の五万人集会。全学連・反戦青年委員会も参加。集会後、全学連が基地へデモ。佐世保橋上で機動隊と激突。この日全国三十都道府県、五十一ヵ所で抗議集会・デモ。
1・19 全学連、佐世保市内名所で機動隊と衝突。全国実行委、東京日比谷で昼一万人の集会。夜、日比谷で五千人の集会とデモ。厳戒の中、空母エンタープライズが佐世保に入港。同時に、原子力駆逐艦トラクストン、通常駆逐艦ハルゼーも入港した。東京残留の三派全学連は外務省四階に乱入、廊下を三十分間占拠して八十九人が逮捕される。
1・21 佐世保松浦公園で全国・中央両実行委(社共)主催の二万人集会。集会後、佐世保橋上で全学連が装甲車を占拠して闘う。その後方を労働者・市民が埋めて支援。五時半すぎ四人が米軍基地内に突入。横須賀でも全国反戦・神奈川反戦など五千人集会。百五十六人負傷。三派全学連は佐世保橋で米軍基地内突入を試みたが、放水と催涙ガス攻撃で後退。夕方近く中核派学生九十人が橋の下流の水かさの減った佐世保川を歩いて渡り、四人が基地の金網をよじ登り、二人が基地に入り逮捕、残る二人は柵の上で基地突入を果たしたと叫び引き返した。
1・23 全学連、エンタープライズ「追い出し」集会。駅前で市民とお別れ集会。エンタープライズとトラクストンが佐世保を出港。
1・29 東大医学部自治会、登録医師制度導入に反対して無期限ストに突入。
1・31 マル学同中核派主催の全学連佐世保闘争報告大集会。日比谷公会堂に六千人結集。
2・1 西南大学全学闘争委、大学当局の学費値上げ案の白紙撤回をかちとる。
2・10 中央大学卒業試験が、学費値上げに反対する学生により阻害される。
2・11 全学連・反戦青年委など、紀元節復活反対・三牲塚新空港粉砕・王子野戦病院粉砕の集会とデモに三千人参加。
2・13 中央大、升本喜兵衛学長が辞任。
2・16 中大学費値上げ闘争、白紙撤回をかちとる。中大理事会が五学部長の申し入れで学費値上げ案を撤回、全理事辞職。三十五日ぶりに闘争が解決した。
2・19 東大病院で春見医局長ら医局員数人と、医学部学生がこぜりあい(春見事件)。翌20日、春見医局長は謝罪文に署名する。
2・20 王子野戦病院設置阻止闘争。北区労連・反戦青年委などの労働者二千人、北区柳田公園で集会。全学連、王子駅前から集会場ヘ向かう途中で機動隊と激突。金嬉老が二人をライフルで射殺したあと、静岡県寸又峡の旅館に十三人を人質にして、立てこもる(金嬉老事件)
2・24 金嬉老逮捕。
2・26 三里塚空港実力粉砕現地総決起集会。現地反対同盟一千人、中核派千六百人、反戦青年委三百人など三千人が参加。全学連、公団前で角材をもって機動隊と激突。双方で四十人の負傷者が出た。反対同盟委員長の戸村一作氏も学生をかばおうとして、警官隊に殴られ重傷を負った。
2・27 王子野戦病院設置阻止闘争。北区王子の柳田公園に全学連(三派系)・反戦青年委など千五百人が結集、王子闘争が本格化する。
3・3 王子野戦病院設置阻止闘争。中核派、社学同、ML派、解放派、第四インターなど全学連各派と、反戦青年委の千八百人が集会とデモ。機動隊と衝突し五十人が逮捕される。
3・8 王子野戦病院設置阻止闘争。全学連(三派系)千五百人が野戦病院を波状政撃し、市街戦を展開し、北区滝野川付近で機動隊と衝突、百五十人が逮捕される。夜間になって、東京護憲連合主催の都民集会に参加した反戦青年委の労働者など二千人がゲート前に座り込み、市民五千人と一体となって王子本町一丁目交差点で機動隊と激突。
3・10 成田三里塚闘争では、反対同盟千三百人を中心に全国から一万人の労働者・学生・農民・市民が参加。全学連二千人はバリケードに突撃、催涙液の放水を浴びながら突入、数台の装甲車と数千の機動隊に守られた公団に肉迫した。その後方を反対同盟・反戦青年委・市民が支援、逮捕者百九十八人、負傷者五百人を出した。沖縄渡航の三学生が入域手続き拒否闘争。
3・11 東大当局が春見事件をめぐって退学四名を含む十七人の医学部学生の処分を発表。
3・12 自民党が、三派全学連に破防法を適用すべきとの方針を打ち出す。
3・17 べトナム反戦・国防教育粉砕全都高校生卒業集会。五百人の高校生が文部省ヘデモ。
3・20 三里塚空港粉砕成田集会。労働者・農民・学生五千人が集会とデモ。
3・26 全共闘が安田講堂を占拠し、卒業式の実力阻止をはかったため、東大の卒業式が中止された。
3・28 王子野戦病院設置阻止闘争。学生一千人が、午後、王子野戦病院に突撃、機動隊を蹴散らし中核派の四十九人が基地内に突入、将校クラブの各室を占拠。この闘いは夜にひきつがれ、全学連・反戦青委を先頭に万余の市民が結集して機動隊に投石したため、機動隊は総退却。夜十一時まで王子駅一帯は騒然となる。東大医学部学生は、登録医制・不当処分に反対して、卒業式を実力阻止。三百名が時計台前座り込み。
3・31 三里塚闘争に、全学連九百人・反戦青年委一千人・現地反対同盟八百人など計三千人が結集。全学連はみたび公団に突入。逮捕者五十一人。双方で負傷者四十三人。
4・1 王子野戦病院設置阻止闘争。全学連四百人、反戦青年委一千人が米軍王子キャンプにデモ。機動隊と衝突、各所で市街戦が展開された。王子本町の交番が襲撃されたほか、パトカー一台が放火され炎上した。市民数千人も合流して、独自に機動隊と対決。この騒動の最中、榎本重之さんが虐殺された。学生など百五名が逮捕された。
4・2 大阪で十七歳の理容師・白川和夫氏がべトナム反戦焼身自殺。
4・3 全大阪反戦青委主催で白川和夫氏の追悼集会。共産同の指導部をにぎっていたマル戦派が脱退、関西ブントが新指導部を握る。
4・4 アメリカで、黒人指導者のキング牧師が暗殺され、黒人暴動が勃発。
4・8 王子闘争。王子野戦病院反対共闘会議(三十団体で構成)のデモは不許可となるが、反戦青年委一千人を先頭に数千人の労働者・市民が集会とデモ。
4・11 アメリカのべトナム侵略反対・佐藤内閣退陣を要求する中央総決起大会(総評主催)。
4・15 王子闘争。全学連各派、騒乱罪適用の恫喝をけって闘う。王子キャンプ正門前で座り込み。中核派は角材をもって三度にわたりキャンプを攻撃。反戦青年委の労働者も激しくデモ。
4・21 ベトナム反戦・沖縄奪還国際共闘。全国反戦青年委主催中央集会に労学七千人が参加、デモと座り込み。のち王子でデモと座り込み。中核派は機動隊に十二時間も不法拘禁される。秋山勝行委員長が逮捕される。
4・24 沖縄全軍労、大幅賃上げを要求して全面スト。長崎で反戦の闘い、米駆逐艦ハルゼーの寄港阻止。
4・26 国際反戦統一行動。全学連三千人がデモ。
4・27 沖縄返還要求国民大会。六千人が参加。全学連千五百人のデモで二百十三人が無差別逮捕。
4・28 沖縄デー闘争。中核派が東京駅を占拠。沖縄では第八回祖国復帰要求県民総決起大会開催、二十万五千人が参加。北九州市で青年労働者・学生が米軍の山田弾薬庫撤去闘争、三百人が座り込み。中核派とブントに対し破防法が適用され、中核派・ブントの五人の幹部が破防法第四〇条「凶器もしくは毒劇物を携える多衆共同して検察もしくは警察の職務を妨害する罪」で事前逮捕される。
5・7 三里塚で、ボーリング打ち測量実力阻止、公団・機動隊の現地介入粉砕の緊急闘争。全学連五百人が結集、機動隊の介入を粉砕した。
5・13 日米安保協議委粉砕闘争。昼は全学連五百人、夜は反戦青年委一千人・全学連五百人が集会とデモ。
5・17 べトナム反戦・沖縄奪還・教育三法粉砕全学連中央集会。七百人がデモ。九州では七十人が山田弾薬輸送実力阻止闘争。
5・18 早大生、総長選挙阻止闘争。大学側は郵送投票に切り替える。
5・23 教育系学生、教育三法粉砕統一行動。七百人が参加。日大生、大学当局の使途不明金問題糾明のため、連日数千人の集会とデモ。日大闘争始まる。神田三崎町の経済学部一号館前に集まった二千人の学生が初の二百メートルデモ。「偉大なる二百メートル・デモ」と呼ばれた。
5・25 日大、白山通りで五千人の学生がデモ。
5・27 日大生経済・文理・法学・芸術・商学・農学・理工の各学部有志による全学総決起集会。全理事総退陣・経理の全面公開・集会の自由・不当処分白紙撤回などのスローガンを採択、一万人が大学本部を包囲デモ。日大全学共闘会議(日大全共闘)が結成される。
5・30 全学連、べトナム反戦・沖縄奪還・安保粉砕全国学生ゼネスト中央集会。二千人がデモ。全国各地でも千六百人を集めた広島などで集会とデモ。
5・31 日大生三万人が大衆団交を要求して大デモ。
6・1 広島で、呉市の米軍弾薬庫撤去・弾薬輸送拒否闘争。広大生など三百人参加。
6・2 エンタープライズ寄港阻止・佐藤内閣打倒横須賀大集会。労働者・学生五千人が参加。米軍ファントム機が九州大学工学部に建設中の大型計算センターに墜落炎上。これを機に、米戦闘機九大墜落抗議緊急闘争が開かれ、九大生数百人が米軍パトカーを包囲。以後連日抗議デモが繰り広げられる。
6・4 日大生四万人、大衆団交を要求して大学本部を包囲、本部で抗議集会。
6・7 西日本の学生四千人が板付基地正面ゲートに座り込み。東京で全学連一千人抗議デモ。
6・11 日大全共闘、法・経・文・商・芸・農・獣医などがストに突入。大学本部を封鎖。体育会系右翼学生・学生課と日大全共闘が衝突し、二百人以上の負傷者が出た。
6・12 パリ、ソルボンヌの学生街で学生と警官隊が衝突。
6・15 ベトナム反戦・安保粉砕・佐藤内閣打倒、六・一五記念首都総決起集会。日比谷野音で集会のあと国会へデモ。日比谷野音の会場では、中核派と革マル・解放連合との乱闘事件が起き、三派全学連は実質的に解体した。大阪では、全学連を先頭に一万人が御堂筋でデモ。社学同は、駿河台で路上にバリケードをきずき、ASPAC粉砕の神田解放区闘争を展開。東大では医学部学生数十人が安田講堂を占拠。
6・16 呉・黄幡弾薬庫撤去闘争。広島大生など七百五十人が結集。
6・17 東大、未明に機動隊を導入して安田講堂占拠の医学部学生を排除。三千名が抗議集会、大学当局の措置に怒った学生たちが全学部ストに突入。米軍ジェット燃料・火薬輸送反対闘争で、全学連(三派系)・反戦青年委・反戦高協が、国労の輸送反対順法闘争を支援して新宿東口広場で集会。市民多数が参加して一万数千人が新宿駅周辺をデモで制圧。総評・国労は新宿西口の副都心用地で中央集会を開き、労働者二万人が参加。大阪では全学連二千五百人が大阪国際空港軍事利用反対・軍事施設実力撤去の空港デモ。
6・18 東大、全学闘争連合結成。
6・20 東大、全学統一スト。
6・21 東大、大河内総長が大衆団交を拒否の回答。
6・24 立命館大学のノンセクトラジカルだった高野悦子さん(十九歳)が、自宅アパート近くで鉄道自殺。のちに彼女の遺稿集が『二十歳の原点』としてまとめられる。
6・26 東大、文学部、経済大学院が無期限ストに突入。
6・28 米軍タンク車輸送拒否三多摩総決起集会。労働者を中心に三千人が参加。東大、大河内総長と学生代表との「総長会見」を安田講堂で開く。大河内総長は途中、ドクターストップで退場、話し合いは物別れに終わる。
6・29 アナキストグループ「背叛社」のメンバー数人が、代々木にある日本共産党本部玄関前に火炎ビン数本を投擲して逃走する。
6・30 三里塚空港実力粉砕全国総決起集会。反対同盟・全学連・反戦青年委など五千五百人がデモ。北海道長沼町でも自衛隊ミサイル基地設置反対闘争。全学連四百人参加。
7・2 東大全共闘、安田講堂を再占拠、封鎖する。
7・5 慶大教養学部自治会、米軍資金援助に反対して無期限スト突入。東大全学共闘会議(東大全共闘)結成。三千名が決起集会。
7・8 山梨で、北富士演習場全面返還の闘争。忍草入会組合・忍草母の会・山梨大生が自衛隊の演習強行に抵抗して座り込み。
7・11 革マル派全学連第二十五回定期大会(~14 於:品川公会堂、早稲田大学)。八十大学、百五十自治会、百四十六代議員、二千人が参加。東大全共闘、安田講堂を再占拠。
7・14 中核派全学連全国大会開催(~16 於:法政大学)。百一大学・百五十七自治会、百二十七代議員、千五百人が参加。これにより三派全学連の分裂が決定的となった。共産同・ML同盟・社青同解放派は反帝全学連を結成する。
7・16 九州で山田弾薬庫抗議闘争。労働者・学生五百人が線路上に座り込み弾薬列車を阻止。東大全共闘、代表者会議で、処分撤回・大衆団交・機動隊導入に対して自己批判せよなど七項目要求を確認。
7・19 共産同・ML派・社青同解放派などが反帝全学連大会を開く予定だったが、早大一政を中心とする社青同解放派とML派が、中大大講堂の壇上を占拠し、遅れて来た社学同統一派と乱闘となり、開会が不能となる。
7・21 反帝全学連第十九回定期全国大会開催(於:中大学生会館)。七十九大学、百三十一自治会、百七十代議員が参加。藤本敏夫君(同志社大学)を委員長、久保井拓三君(中央大)を副委員長に選出。山田・板付基地撤去・築城移転反対福岡県大会。労働者・学生二千人が参加。山田弾薬庫にデモ、全学連三十人が基地内に突人。弾薬輸送の始発点である呉市の黄幡弾薬庫でも全学連が列車座り込み。
7・23 東大、全共闘を支持する全学助手共闘会議結成。
7・24 沖縄で沖縄闘争学生委員会準備会の学生三十人が入域手続き拒否闘争。
7・25 民青全学連大会開催(~28 於:世田谷区民会館、小金井市公会堂)。
7・27 社学同、ASPACに出席する三木外相の出航阻止羽田闘争。
7・28 山梨で北富士全面返還関東集会。忍草入会組合・全学連・反戦青年委など千五百人がデモ。
7・31 全学連など、九大の米戦闘機引降し阻止闘争。
8・2 日大当局の大衆団交拒否に、学生二千人が決起集会とデモ。
8・4 反帝全学連、アメリカ・フランスの学生代表を集めて国際反戦会議。
8・8 反戦・反安保長崎青年集会。青年労働者・学生千三百人参加。翌日、市内デモ。
8・10 東京新国際空港公団に抗議闘争。抗議団六十人が総務部室を完全占拠。東大では、当局が東京大学告示を全学生に郵送、医学部処分棚上げ・病院長辞任などの解決案を示すが、全共闘は断固としてこれを拒否。
8・17 全学連、大阪で大阪空港軍事利用反対・軍事施設実力撤去闘争。中核派百五十人が軍需企業である新明和工業に突入。大阪反戦青年委・関西べ平連なども昼夜二千人の集会とデモ。沖縄から帰京の学生ら十七人、晴海埠頭を実力突破。岸壁で全学連など五百人が支援。
8・18 鳥取で美保基地拡張阻止、ジェット基地化反対の鳥取・島根両県総決起大会。労働者・学生・住氏千五百人が参加。
8・20 東京学芸大生など、文部省伝達講習会阻止闘争。会場に突人した四十一人が逮捕される。
8・21 ソ連軍のチェコ武力介入に、全学連・反戦青年委など百数十人がソ連大使館に緊急抗議。22~23日も座り込みなどの抗議闘争。
8・24 三里塚・芝山連合反対同盟がボーリング実力阻止総決起集会。反対同盟員一千人が竹槍デモ。
8・28 東大医学部の全共闘学生が医学部本館を封鎖。研究や実験が停止した。
9・2 大阪府立市岡高校生徒会、始業式をボイコット。
9・3 中核派全学連、ソ連軍のチェコ侵入に抗議して、三百人がソ連大使館正門前に座り込み。
9・4 機動隊、日大経・法の封鎖解除に出動。学生二千人が抗議集会、法経両校舎を奪還。
9・7 東大安田講堂で医学連定期大会。民青の大会破壊策動を粉砕して闘う方針を確立。
9・9 社学同などの慶大生、慶大三田校舎を占拠。
9・10 国鉄合理化粉砕。米軍需輸送拒否、一〇・二一ゼネスト態勢をめざす首都青年労働者総決起集会に四千人が参加。反戦青年委一千人も参加。
9・11 仙台で、全学連などの学生六十人が市電撤去反対で市議会に突入。
9・12 日大全共闘総決起集会。数万名が集まり、デモの後、法経両学部校舎に再度のバリケード構築。
9・15 全九州反戦統一集会。反戦青年委・全学連五百人が、九大米軍機墜落現場で集会、機体引降し阻止・板付基地撤去を確認。北海道で反戦・反安保・長沼基地建設阻止全道集会に八百人が参加。広島県の呉では、黄幡弾薬庫・弾薬輸送阻止闘争に二百人が参加。
9・19 東大闘争。工・経・教育学部もスト突入。
9・12 大阪国際空港軍事使用反対・軍事施設撤去全関西大集会。労働者・学生三千人が空港デモ。名古屋では全学連百人が自衛隊の小牧基地に撤去を要求して突入。
9・22 米軍タンク車輸送阻止闘争。立川では東京地評・三多摩労協の労働者・ブント・四トロ・ML・自治会共闘・革マルの学生二千人が集まって立川基地ヘデモ。中核派と反戦青年委・反戦高協の二千人、立川駅前で集会の後、全学連と立川基地ヘデモ。十一人が基地内突入。
9・27 東大、医学部赤レンガ館を研究者が自主封鎖。
9・30 日大全共闘、両国講堂に三万人が集まり大学当局と十時間に及ぶ大衆団交。古田会頭は学生の要求を全面的に認め、全理事退陣確認書に署名。しかし、翌日の佐藤首相からの大衆団交批判発言により、古田会頭も団交での確認書破棄を表明。
10・1 東大闘争。理・農・法学部も無期限ストに突入。
10・6 砂川基地撤去・供養塔実力防衛集会。全学連・反戦青年委など千五百人が参加。神奈川・埼玉・北陸・群馬などの各地でも基地闘争。アナキストグループの「背叛社」の事務所で、メンバーが爆薬らしきものを調合中に、爆発し、数人が負傷、メンバー十一人が逮捕される(=背叛社爆弾誤爆事件)
10・8 羽田闘争一周年・山崎博昭氏追悼集会。中核派・社学同・MLなどの学生・反戦青年委一万人が参加。革マル派と社青同解放派は、明治公園で別個に集会。のち米軍タンク(米タン)阻止を目指して、新宿駅東口広場に結集。既に集会をもっていた構改系のベ反学連の学生三百人と合流し、これに市民も参加して二千五百人以上の巨大デモとなった。学生・市民は駅構内に乱入し、山手・中央・総武線などが止まった。機動隊はガス銃で規制したが、双方で九十五人の負傷者が出、百四十四人の逮捕者が出た。大阪・京都・福岡・広島などでも集会とデモがおこなわれた。
10・9 中国学連再建準備会、黄幡弾薬庫へ弾薬庫撤去のデモ。三百人参加。
10・11 福島大学、学長と教授会の対立から全学ストに発展。
10・12 東大法学部が無期限スト突入。
10・14 日大工学部(福島県郡山市)で右翼学生と全共闘学生が衝突。
10・17 全港湾関門支部の労働者、山田弾薬庫の弾薬陸上げ阻止のスト。
10・20 社学同の学生二十六人が、一〇・二一を翌日に控え、赤坂の防衛庁一号館に突入。一階の中央通信所電話隊事務室を占拠し、社学同旗を掲げたが、機動隊が導入され、全員検挙される。
10・21 国際反戦統一行動。全国で基地撤去・米タン反対・沖縄奪還の闘争が展開された。東京では、社学同統一派の学生・労働者千人が、中央大に集結したのち、明治公園で角材と丸太で武装、青山通りをデモしたのち、午後五時すぎに赤坂防衛庁の正門と東門に突入を敢行した。解放派と反戦青年委九百人は、早大で集会の後、国会とアメリカ大使館に突入を敢行した。革マル派・構改派の二千八百人は、東大で集会の後、国会へ向かったが、麹町署付近で機動隊と衝突し、新宿駅へ向かった。中核派・ML派・第四インターの千五百人は、午後三時すぎにお茶の水駅前で決起集会を開いたあと、電車で代々木駅で下車、線路づたいに新宿駅へと向かった。こうして新宿駅前・駅構内では労働者・市民二万人の大合流のもとに米タン阻止の大集会と大デモが繰り広げられ、国電が放火されるなど混乱した。午後十一時頃には騒動も沈静化に向かったが、政府は翌二十二日午前零時十五分、騒乱罪を適用して市民多数を暴行し逮捕した。総評などの労働者は国労・動労の軍需物資輸送拠点での一時間ストを中心に明治公園で四万人の集会。大阪で学生・労働者数万人が御堂筋デモ。広島で学生、黄幡弾薬庫へ突入。九州で学生らが板付基地前で激闘。
※新宿騒乱事件については、1984年12月に最高裁が上告を棄却、刑が確定している。中核派幹部・吉羽忠ら二被告に懲役三年の実刑、元社学同ML派幹部・久富可美ら六被告に懲役二年から三年の執行猶予付き有罪判決が下った。
10・27 中国ブロック反戦青年委・中国学連(26日再建)一千人が黄幡弾薬庫撤去闘争。
10・30 騒乱罪粉砕・佐藤内閣打倒・安保粉砕・沖縄闘争勝利労学総決起集会。革マル派・社青同解放派をのぞく革命的左翼諸派の学生・労働者五千人が集会・デモ。
11・1 東大文学部、林健太郎学部長を大衆団交で追及。静大法短自治会、法短移動阻止で本部を封鎖。
11・7 学生・反戦青年委、沖縄闘争。中核派・社学同・ML派などの学生二千人は、昼、首相官邸ヘ実力デモ。のち日比谷で反戦青年委三千人と合流して総決起集会、全体で首相官邸デモ。この闘いで、秋山全学連委員長をはじめ四百七十四人が逮捕される。
11・8 右翼暴力団二百人、バリ・スト中の日大芸術学部闘争委員会を武装襲撃。日大芸闘委はこれを完全粉砕。
11・11 日大、右翼と芸闘委の騒動を口実に機動隊が出動。
11・12 東大、総合図書館前で全共闘と民青系学生が衝突。
11・15 神戸で、学生各派と反戦青年委千五百人、神戸港軍事使用反対・軍需輸送阻止のデモ。
11・22 東大構内で東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会。革命的左翼諸派の学生二万人が参加、デモ。民青学生と小競合い。
11・24 三里塚空港粉砕・ボーリング実力阻止全国総決起大会。各派の学生・反戦青年委、現地反対同盟八千人が実力デモ。
11・28 全学連・反戦青年委など一千人、B52墜落抗議・沖縄ゼネスト支援・沖縄奪還総決起集会。この集会の後、首相官邸・米大使館ヘ抗議デモ。
12・6 京都で、国際反戦統一行動。労学千五百人が集会とデモ。
12・10 中核派全学連臨時全国大会(~12)。委員長に新たに金山克己君(横浜国立大)を選出。
12・13 全学連・反戦青年委など千二百人、B52撤去・沖縄ゼネスト支援の集会とデモ。
12・17 佐世保で原潜阻止闘争。全学連・反戦青委一千人デモ。横須賀で労学五百人が抗議行動。
12・18 米原潜プランジャー号が佐世保入港。全学連六百人が反対のデモ。
12・21 上智大に機動隊が導入。立てこもる学生を排除。五十二人が逮捕される。上智大は以後六ヶ月閉鎖される。
12・29 坂田文相、紛争中であることを理由に東大全学部の入試中止を決定。

1969年(昭和44年)

1・9 東大全共闘、民青がたてこもっていた教育学部に奪還闘争を展開。東大加藤執行部は機動隊を導入して民青を守る。
1・10 東大、秩父宮ラグビー場で全学部集会。医・文・薬の三学部を除く七学部から選出された学生代表団と「確認書」を取り交す。全共闘側は、これを日共=民青ペースの大学当局への大幅譲歩として反発。
1・12 東大、日共=民青と右翼学生の手により六学部でスト解除。
1・15 東大全共闘の学生が安田講堂などの封鎖を強化。安田講堂に各地の各派から参集した五百人が籠城した。東大全共闘の主力はその後の闘争継続のため学外に脱出。革マル派も決戦を避けて籠城から脱出したために、のちに「敵前逃亡」と非難を浴びる。
1・18 機動隊、安田講堂に立てこもる学生排除に出動。神田で各派・反戦青年委・市民が東大支援総決起集会を開き、夜間まで市街地で解放区闘争を展開。東大内の学生と合流するため、本郷地区まで迫るが、果たせず。
1・19 前日に引き続き神田解放区闘争が展開されるが、果たせず、午後五時四十六分、東大安田砦が落城する。
1・20 東大と文部省との会談で、東大入試中止が決定。
1・21 京大に機動隊導入、二百七十人が負傷。
1・29 全国各地の大学で闘争が激化。東京工業大学が無期限スト突入、横浜国立大学が全学部無期限スト突入。
1・30 京都大学教養学部がスト突入。
1・31 大阪大学教養学部が無期限スト。立命大では寮八項目要求闘争。神奈川大学で三項目要求の本部封鎖。広島大学教養学部の十項目要求無期限スト。ほか、神戸大・富山大・関西学院・岡山大・群馬大・山梨大・長崎大・埼玉大・京都府立医大の闘争がつづく。
2・3 革マル派の学生十人が沖縄ゼネスト支援のため、赤坂のアメリカ大使館に突入、全員逮捕される。
2・4 沖縄B52撤去・東大奪還統一行動。
2・7 関西学院大学の入試会場に全共闘学生が乱入、機動隊に守られながら入試が強行される。
2・8 金沢大の学生・労働者、自衛隊機墜落抗議・小松茎地撤去闘争(~12)。
2・11 日大闘争勝利労働者・学生・市民五万人集会。京都で二千五百人全国大学闘争勝利全関西総決起集会。高校生七百人、紀元節復活反対の抗議集会とデモ。
2・14 京大全共闘、日共=民青と激闘、時計台一階を奪還。
2・15 米原潜八ドック寄港抗議集会。労働者三千四百人が集会の後デモ。京大の教授と助手がバリケード解除を要求してハンスト。
2・18 日大全共闘、教授会に総団交を要求して中大で抗議集会。一千人結集。
2・19 中央大、全学封鎖が二ヶ月ぶりに解除される。
2・21 東大闘争勝利、労働者・学生・市民連帯集会。五千人参加、潜行中の東大全共闘議長・山本義隆君が演説。中大全中闘の集会に機動隊が導入され、二百余人を逮捕される。関西でも、京大闘争勝利全関西労学総決起集会。京大・立命館大全共闘二千五百人が立命館大と京大で二度の集会。
2・25 大阪の阪南高・大阪府立茨木高校でバリ封鎖、卒業式粉砕行動。各地の高校で卒業式粉砕や送答辞闘争が展開される。
2・26 京大全共闘、入試粉砕闘争で、本部時計台を二十時間占拠する。
2・27 九大で、東大・日大・全国大学闘争勝利九州労学市民連帯集会。集会の後、米軍機引降し糾弾の本館封鎖闘争を断行。電通大当局が、占拠学生排除のため、機動隊を導入、百二十九人が逮捕される。
2・28 広島大で本館封鎖。
3・1 京大入試粉砕闘争で、京大闘争勝利・入試粉砕労学総決起集会の後、東山通りで街頭バリケード戦。京都・大阪両府警の機動隊二千三百人が、京大に強制捜査。火炎ビンなど押収し、十二人を逮捕した。
3・2 安保粉砕・沖縄闘争勝利、立川・横田基地撤去砂川集会。
3・3 京大入試。京大全共闘が試験場に武装デモし、機動隊と終日激突。九大・広大・岡山大でも入試阻止闘争。東大全共闘が法学部研究館を再封鎖するが、機動隊が封鎖を解除。全共闘、駒場の教授会追及闘争ヘ。日大全共闘、文理の授業再開を阻止。
3・5 沖闘委の学生五十人、鹿児島港―那覇港で五百人の乗船客とともに入域手続き拒否闘争。日大、教授会弾劾集会に四千人結集。
3・6 中央大学全中闘(全学中央闘争委員会)、大学のロックアウトに抗して奪還闘争。構内集会をかちとるが、機動隊導入のため数十名が逮捕される。
3・10 日大全共闘、校舎奪還闘争。文理本館占拠バリスト、理工でも一号館再封鎖、法学部も学校側の学部集会を粉砕。
3・13 都立武蔵が丘高で卒業式粉砕闘争。
3・14 教育大全学闘、大学の奪還闘争を展開し、大塚キャンパスヘ突入する。
3・15 都立大付属高で卒業式を粉砕。
3・19 反戦高協などの各派高校生組織を中心に高校生五百人が集会を開き、文部省へデモ。
3・22 東大構内で総決起集会。東大全共闘・日大全共闘など三千人が結集。国立大学二期校入試粉砕闘争。東京外大・横浜国大・島根大・群馬大・埼玉大で闘う。
3・25 日大全共闘、新入生交歓集会のあと、法・経学部奪還のデモに一千人が参加。
3・28 中核派全学連臨時全国大会。四・二八沖縄闘争行動方針を確立。
3・30 三里塚軍事空港粉砕集会。現地反対同盟・反戦青委・全学連など一万二千人が集会とデモ。
3・31 東大全共闘の駒場共闘、教養学部第一本館を封鎖。機動隊が封鎖解除。
4・1 早大で反戦連合が第二学生会館に突入。
4・4 早大、本部を封鎖占拠。
4・10 大学闘争の圧殺と四・二八闘争の予防弾圧のため各地で機動隊出動。東京外国語大で百二十八人が逮捕される。
4・12 日大全共闘と明大学生会館内の百二十六人が逮捕される。岡山大にも機動隊、全共闘はこれを粉砕。
4・20 沖縄闘争勝利・七〇年安保粉砕・全国青年労働者総決起集会。学生ら一万二千人が結集。
4・21 早大当局、機動隊を導入してロックアウト。学生らロックアウトを破る。
4・26 早大当局、機動隊を導入し、占拠をつづける学生を排除。
4・27 破防法発動。革共同全国委書記長・本多延嘉と、東京地区反戦世話人・藤原慶久が、翌28日朝に逮捕される。
4・28 沖縄反戦デー。高校生をふくめた学生一万人は、首相官邸をめざし東京駅―新橋駅、お茶の水などで武装デモ。反戦青年委五千人、銀座を中心に都心を制圧。べ平連も、この一帯でデモ。学生ら渋谷駅頭・佐藤私邸襲撃。池袋・品川駅占拠、世田谷の交番襲撃。早大・高田馬場駅・大手町で集会座り込み。午後九時半、東京駅付近でデモ。社共両党は沖縄復帰協の要請で、代々木公園で集会の後デモ。沖縄では二十万五千人の県民が決起、那覇の大会には十七万人が参加しデモ。大阪で労学二万人御堂筋デモ、札幌・仙台など全国名地で激しい闘いが展開された。逮捕者九百六十五人(うち女性百三十三人)。逮捕者の中には高校生も数多く含まれていた。
5・2 在日中国青年百余人、出入国管理法案に反対して東京出入国管理事務所ヘデモ。
5・8 北海道で学生ら三百人、長沼ミサイル基地聴問会粉砕闘争。
5・10 東大闘争分離公判粉砕・破防法粉砕集会。学生・反戦青年委の労働者七千人が集会とデモ。
5・14 京大全共闘、医学部構内を全面封鎖。
5・15 京大全共闘、学生部再封鎖。
5・19 東大全共闘、安田講堂前に三千人が結集して、加藤総長糾弾集会。
5・20 立命館大で平和と民主主義のシンボルとされてきた「わだつみの像」が、見せかけの民主主義だとされ、全共闘学生と見られる者により破壊される。
5・21 日大闘争一周年全学総決起集会。四千人が理工学部ヘデモ、校舎内ヘ突入。
5・22 東大、本部のすべての門を封鎖。
5・23 大学治安立法粉砕・破防法粉砕全国統一行動。東京で全学連七千人が明大記念館で中央決起集会。全関西三千人の労学集会、機動隊を撃退して東大路に解放区を実現。福岡・広島・札幌・名古屋・岡山・鳥取で市内デモ。全国三十数大学でスト、大学封鎖つづく。
5・27 東大闘争分離公判開始。獄中の学生ら分離公判粉砕・統一公判を要求して裸になって出廷拒否。
5・29 早大闘争勝利全国学生連帯集会。学生各派三千人と早大生二千人が合流して、本部周辺をデモ。
5・31 愛知外相訪米阻止闘争。羽田空港ヘデモ。京浜蒲田駅前で大量逮捕。革共同など外相訪米阻止・ASPAC粉砕青学総決起集会。七千人が外務省デモ。三百五十五人逮捕。大阪・京都でも集会とデモ。
6・1 全国基地撤去・沖縄闘争連帯・砂川闘争勝利報告集会。農・労働者・学生三千人が砂川反戦広場に集結。出入国管理法案粉砕闘争。全国五ヵ所で集会とデモ。東京では労働者・学生三千人が東京入国管理事務所ヘデモ。
6・2 専修大で、バリケード封鎮・学部長室占拠闘争。
6・4 専修大に機動隊が導入される。
6・8 ASPAC粉砕闘争。各派・反戦青年委一万二千人が静岡県の伊東駅前に結集。全学連は伊東警察署を攻撃。伊東市内をデモ。機動隊と衝突、学生を中心に二百七人が逮捕された。
6・9 伊東市ヘ向かう中核派の電車が小田原駅で切り離され全員逮捕。辻堂駅でも機動隊と衝突。伊東市内でも四十六人が検挙される。九州で出入国管理法案粉砕闘争。反戦青年委・学生五百人が長崎の大村収容所ヘデモ。
6・11 日大全共闘、日大闘争バリスト一周年全学総決起集会。五千人がデモ。
6・15 統一行動。東京で三百六十三団体主催の反戦・反安保・沖縄闘争勝利統一集会。労働者・学生・市民七万人が日比谷から東京駅へ大デモ。夜も安保粉砕。日帝打倒・沖縄闘争勝利大政治集会に一万二千人が参加。大阪では一万五千人が御堂筋を理め、全国七十二ヵ所で十数万人が決起。
6・24 出入国管理法案粉砕全国統一行動。労働者・学生七千人が国会デモ。
6・27 大学治安立法粉砕闘争広がる。東京で各派学生の総決起集会。全関東から一万五千人が参加し国会デモ。連日、各大学独自のデモ、スト、バリケード封鎖がつづく。
6・28 新宿西口広場のフォークソング集会で暴動が勃発。機動隊が導入され、六十四人が逮捕される。
6・30 京大教養部日共反革命代議員大会粉砕。立命館大広小路学舎奪還闘争。三千人の学生が結集し、機動隊と日共=民青を制圧、時計台前で大学治安立法粉砕集会。
7・3 東大裁判の欠席裁判に抗議して、被告学生がパンツ姿で法廷に座り込み。
7・10 大学立法粉砕全都全共闘総決起集会。早大に八千人が集まり国会デモ。早大で革マル派を除く諸派が早大全共闘を結成、全学バリストに突入。
7・14 大学治安立法粉砕総決起集会(関西大四全共闘と日大全共闘主催)。三千人が国会デモ。革マル派全学連大会。新委員長に大貫君(早大)を選出。反帝全学連大会。
7・15 中核派全学連大会。百七十三大学・二百十一自治会、三千四百人が参加。
7・19 文部省指導手引書粉砕・東大裁判粉砕・地裁横川体制打倒集会。高校生七百人が文部省デモ。新宿西口広場の反戦フォーク集会に機動隊二千五百人が導入。
7・20 騒乱罪・破防法・東大裁判粉砕、地裁弾劾労農学市民大会。一万三千人が東京地裁デモ。
7・24 東京教育大学が筑波への移転を正式決定。
7・25 入管法粉砕闘争。反戦青年委・学生七千人が集会と国会デモ。大阪で千五百人がデモ。大学立法強行採決を前に全都全共闘緊急闘争。五千人国会デモ。沖縄の学生七十四人が、米民政府に乱入し、星条旗をおろす。
7・26 引き続き大学立法に反対して、三千人デモ。
7・29 ロジャース来日抗議・沖縄毒ガス撤去・日米合同委粉砕闘争。学生と反戦青年委三千五百人が集会とデモ。
8・2 各派、晴海埠頭で渡航制限撤廃闘争。沖縄現地闘争に向かう学生を七百人を歓送。
8・4 大学治安立法強行採決に対する抗議闘争爆発。全都全共闘六千人が明治公園に集結、二度にわたり国会デモ。二十人が文部省突入、二百人が文部名に武装デモ。反戦青年委は有楽町駅前で抗議集会。大阪で九百人、京都で五百人の労働者・学生が集会とデモ。
8・5 大阪駅東口広場で大学立法抗議集会。労働者・学生・市民数千人結集。広島で学生五百人がデモ。
8・6 安保粉砕・沖縄奪還・佐藤訪米阻止広島反戦集会。反戦青年委・学生・高校生・市民三千人が討論集会のあと平和公園ヘデモ。
8・7 反戦・反安保を目指す「ハンパク(反戦のための万博)」が大阪城公園で開かれ、学生など二千人が参加。
8・10 反戦・反安保長崎集会。反戦青年委・全学連・べ平連五百人が大村収容所ヘデモ。全学連は機動隊を粉砕して収容所に突入。
8・14 基地撤去・B52撤去を叫んで学生三人が沖縄嘉子納基地に突入。
8・15 沖縄の学生、嘉手納基地ヘデモ。中核派と沖闘委は牧志ウガンで集会、那覇軍港ヘデモ。京都で大学治安立法粉砕全関西労働者・学生統一行動。八百人結集。
8・17 大学治安立法施行。広島大解放砦死守闘争。封鎖解除のため機動隊が出動。広大全共闘二十九人の抵抗で解除作業進まず。この間、外部の全共闘学生は一万数千の市民の支援のもとに、機動隊を粉砕して正門前を占拠。東京では、全都全共闘、大学治安立法抗議の総決起集会。四千二百人二百人が文部省デモ。また、京大・九大では広島大に連帯して封鎖を拡大。
8・18 広島大学、深夜午前一時すぎに封鎖解除。
8・21 沖縄から帰京の沖闘委学生を迎えて晴海で労働者・学生千五百人が渡航制限撤廃闘争。のち労働者・学生七百人がソ連のチェコ武力制圧一周年に抗議してソ連大使館へデモ。
8・23 神戸で朝鮮人任錫均(朴正功)さんの不当逮捕に抗議して、反戦青年委・学生・べ平連四百人が神戸入国管理事務所ヘデモ。福岡でも五十人が福岡入管ヘデモ。東大裁判で被告学生が、検事が読み上げていた起訴状を破り捨てる。
8・25 神戸で昼夜二回の入管デモ。
8・28 神戸で千五百人、東京で五百人の抗議行動。ついに任錫均さんの仮放免をかちとる。
8・31 全国の高校生五百人、静岡県掛川西高の大量処分に抗議、掛川で処分撤回・手引書体制粉砕全国高校生総決起集会。掛川西校ヘデモ、機動隊の壁を破って七人が校舎へ突入、占拠。この後、札幌北高・京都日吉が丘高・千葉東高・大阪市岡高など多くの高校で始業式粉砕闘争。稲城多摩野戦病院設置阻止総決起集会。三多摩労協・反戦青年委・学生・市民二千五百人がデモ。
9・2 関東大震災朝鮮人虐殺四十六周年・入管体制粉砕日朝中連帯集会。在日朝鮮人・中国人をふくむ労働者・学生千五百人が結集。
9・3 早大に機動隊導入、第二学生会館と大隈講堂の学生を排除し、封鎖を解除。外部でも学生が機動隊と闘う。五千人の学生が早大奪還集会を開く。広島では広島大闘争報告労学市民連帯集会に二千五百人結集。愛知訪米阻止集会。反戦青年委五百人デモ。大阪で一千人、京都で二百五十人の労学デモ。アメリカ大使館とソ連大使館に火炎ビンが投擲される。
9・4 愛知外相米ソ訪問阻止で、羽田空港に火炎ビンを投擲した五人が逮捕される。赤軍派が葛飾公会堂で大政治集会。
9・5 全国全共闘連合結成大会。革マル派を除く中核派、社学同、学生解放戦線、学生インター、共学同、フロント、プロ学同、反帝学評の八党派、全国の四十六大学、百七十八全共闘組織の学生二万六千人が日比谷公園に結集。議長に潜行中の山本義隆(東大全共闘代表)、副議長に秋田明大・日大全共闘議長を選出、「七〇年安保闘争勝利・沖縄闘争勝利」などのスローガンを採択するが、デモの最中に姿を現わした山本義隆議長が逮捕される。この日、共産同赤軍派がはじめて公衆の前に姿を現わし日比谷公園内で示威デモした。しかし、全共闘運動そのものは、以後は急速に退潮し、学生運動はセクト中心に戻っていく。
9・6 早大文学部の革マル派の拠点に強制捜査。火炎ビンなどが押収され、百二人が逮捕される。
9・10 東京外国語大学に機動隊導入される。
9・12 長崎大学、機動隊導入で封鎖解除。
9・13 共産同赤軍派の全国拠点五ヵ所に一斉強制捜査。二十一人が逮捕される。
9・15 岡山大学、機動隊導入で封鎖解除。全関東反戦総決起集会。反戦青年委の労働者五千五百人が結集。
9・17 東京教育大、大学立法適用粉砕・校舎奪還闘争。教育大全闘委の学生九人が機動隊常駐の校舎に突入。午後、全国全共闘三千人が大塚公園で決起集会ののち、東京教育大までデモ。
9・18 埼玉大経済学部四年生の中核派・滝沢紀昭君が、芝浦工大の大宮校舎内でテロ集団に襲われ、二階の窓から落ち死亡。
9・20 京大、大学立法粉砕・安保紛砕・時計台死守・構内封鎖闘争。全関西全共闘三百人が本部構内の各門と法経新館を封鎖。今出川通り・百万遍交差点をバリケード封鎖、機動隊を火炎ビンで粉砕。夜、機動隊が教養部・医学部図書館封鎖を解除。大学周辺では関西全共闘の学生・市民が機動隊と闘争。同志社大学近くの烏丸今出川派出所などを火炎ビンで襲撃。関西大の津本忠夫君が重傷(のちに死亡)。
9・22 午前一時、四十六時間におよぶ徹底抗戦ののち、京大時計台砦の封鎖が解除される。赤軍派が大阪、京都で交番を襲撃する。
9・27 東大大学院の入学試験会場に全共闘学生が乱入、答案用紙を奪って逃走する。
9・28 三里塚第二公園に、農民・労働者・学生千三百人結集。機動隊六千人が厳戒体制をしくなかで、全国指名手紀の青年行動隊代表・萩原進が連帯のあいさつ。
9・30 日大団交一周年法経奪還闘争。日大全共闘を中心に五千人の学生が結集。お茶の水―神田一帯で火炎ビン・バリケード闘争、逮捕者三百五十五人。本富士署が火炎ビンにより襲撃を受ける。
10・4 大阪市大、機動隊を導入し封鎖解除。学生五人が本部時計台で火炎ビンで抗戦したが、全員逮捕される。
10・6 東京の九段高校で、生徒が職員室を封鎖。日比谷高校では始業式が荒れる。
10・8 全国全共闘五千人、日比谷野外音楽堂で羽田闘争二周年の集会。
10・10 べトナム反戦・安保粉砕・沖縄闘争勝利・佐藤訪米阻止・羽田闘争二周年大統一集会・デモ。反戦青年委・全国全共闘・高校生・べ平連・市民団体が各所で階層別集会を開き、明治公園に総結集。参加人員十万人。集会後、日比谷公園までデモ、全国各地でも集会・デモ。
10・13 九大、機動隊を導入し封鎖解除。学生は火炎ビンで抵抗。電算機センターの墜落米軍機も撤去。
10・16 早大、機動隊を導入し全学ロックアウト。
10・18 各派学生、首相官邸・自民党本部・東京拘置所・福岡県庁に突入し、火炎ビン闘争。
10・20 立大・国際基督教大・東京農工大に機動隊出動。沖縄の県反戦・中核派学生が嘉手納基地に突入、五人逮捕される。首相官邸、自民党本部、東京拘置所(巣鴨)などに全共闘学生が乱入。福岡では県庁が襲撃される。警視庁、立教大学捜索、国際基督教大学と東京農大の封鎖を実力解除。
10・21 全国で四十六万人が参加し、闘争が全国各地で爆発する。東京では警視庁始まって以来の警備態勢がしかれたが、新宿・高田馬場を中心に各所で全共闘学生・反戦労働者・市民が機動隊と激しく衝突、投石・火炎ビン・バリケード・都市ゲリラ闘争を展開、鉄パイプ爆弾、ピース缶爆弾も登場し、都市機能の大部分が麻痺した。襲われた警察署四、派出所十七、逮捕者は東京だけで千百二十一人(全国では千五百八人)にのぼった。なお、社共・総評・革マル八万人も午後六時から代々木公園で集会・デモをおこなった。警視庁、燈台文学部、法政大、都立青山高校を捜索、火炎ビンなどを押収。青山高校では生徒四人が火炎ビンや投石などで激しく抵抗したが、全員逮捕。校門周辺でデモをしていた女子高生一人も逮捕された。
10・22 都立日比谷高校で全学闘争連合の生徒が教室を封鎖。同じく、都立立川高校でも校舎の一部を封鎖。都立竹早高校、生徒会が無期限ストを宣言。
10・27 早大、機動隊の厳戒体制のもとで授業再開。
11・3 東京学芸大学付属高校で、退学者十四人を含む三十四人の処分がおこなわれた。
11・5 大菩薩峠にある山荘「福ちゃん荘」で軍事訓練をしていた赤軍派五十三人が、凶器準備集合罪で検挙。
11・8 北大、全共闘に四ヶ月あまり占拠されていた大学本部などを、機動隊導入で封鎖解除。
11・19 造反自衛官が、ビラ貼りや訓練拒否をしたため逮捕。

1970年(昭和45年)

1・16 赤軍派、東京で蜂起集会。「国際根拠地建設、70年前武装蜂起貫徹」がスローガン。
2・7 赤軍派、大阪で蜂起集会。
3・31 赤軍派の九人(田宮高麿[27歳、大阪市大]、小西隆祐[25歳、東大]、田中義三[21歳、明大]、阿部公博[22歳、関西大]、吉田金太郎[20歳、元工員]、岡本武[21歳、京大、のちにテルアビブ空港を襲った岡本公三の兄]、若林盛亮[23歳、同志社大]、赤木志郎[22歳、大阪市大]、柴田勝弘[16歳、高校生])が羽田発福岡行の日航機「よど号」(ボーイング727、乗員七名、乗客百三十一名)をハイジャック(=フェニックス作戦)。機は福岡空港に着陸したのち、韓国の金浦空港に着陸した。
4・2 よど号の乗客九十九人とスチュワーデス四人の身代わりとして、山村新治郎運輸政務次官が乗り込み、ハイジャック機は北朝鮮の平壌空港に着陸した。
4・26 大阪万博のシンボル「太陽の塔」に、「赤軍」と書いた赤ヘルメットをかぶった赤軍派風の男が登り、右目部分に籠城、「バンパクをつぶせ」とアジ演説をした。(=アイジャック)
5・3 「太陽の塔」籠城男、一週間ぶりに逮捕。二十五歳の元旭川市役所職員だった。
5・12 シージャック発生。5月10日に福岡市柳小路で車を盗んだが、11日午前零時半頃、山口県内の国道でパトカーが停車させたところ、三人組の一人は逮捕したが、警官が刺殺される。二人は広島市でライフルを強奪し逃走したが、府中町のキリンビール工場前の県道で警官が発見、格闘の末、一人は捕まったが、主犯は警官のピストルを奪って逃走し、客船「ぷりんす号」を乗っ取り、乗客四十四人を人質に出港した。
5・13 シージャックされた「ぷりんす号」が広島港に戻ったところを、大阪府警ライフル班の警官が狙撃。弾丸が左胸に命中し、犯人は病院に運ばれたが死亡した。
6・4 東京大学付属病院の新病舎移転に反対して、病院の一部を占拠していた全共闘系学生と青医連の若手医師が機動隊に排除され、四十二人が不退去罪で逮捕される。
6・6 ベ平連定例デモに三千五百人が参加。新宿駅西口で「安保拒否百人委員会」が座り込み。
6・13 日米安保条約自動延長に反対して、各所で群発デモ。しかし、全体としては平穏だった。
6・14 新左翼系学生・労働者などが全国で、反安保集会を開き、デモ。
6・15 樺美智子さんの十周忌。全国百九十ヵ所で二万百七十人が集会、デモ。二百九十四人が逮捕。四十五大学でスト・授業放棄。東京では、午後六時すぎから学生が渋谷・銀座で火炎ビンや投石でゲリラ戦。二百四十一人が逮捕される。
6・23 日米安保条約自動延長。
8・4 革マル派の海老原俊夫氏(東京教育大生、二十一歳)が、法政大学内で中核派から襲撃され死亡。
8・6 革マル派が日比谷公会堂で国際反戦中央集会。「この集会を機に中核派殲滅の戦いに入る」と宣言。
8・14 中核派に変装した革マル派三十人が法政大に侵入し、中核派学生十数人を襲撃する。
11・25 作家、三島由紀夫(四十五歳)が、楯の会の四人とともに市谷自衛隊東部総監部を訪れ、益田総監を人質にし、バルコニーで演説したあと、三島等二人が割腹自殺。
12・17 三島由紀夫割腹自殺事件で逮捕された、楯の会の三人が、嘱託殺人・傷害・職務強要などで起訴。
12・18 京浜安保共闘、拳銃奪取のため、東京の上赤塚交番を襲撃。一人が警官に射殺され、二人が重傷を負った。

1971年(昭和46年)

2・4 第一次羽田闘争の二十六被告全員に有罪判決。
2・17 京浜安保共闘の横浜国大生ら三人が、午前一時、栃木県真岡市にある塚田薬局兼銃砲店を襲い、散弾銃十丁と散弾千五百発、空気銃一丁を奪い逃走する。東京北区で二人逮捕。
2・22 新空港公団が、一坪運動用地の代執行に着手。反対農民・学生が抵抗、学生多数が逮捕される。
2・23 新空港公団による第一次執行が怒声と投石の中、立ち木十本を切って完了する。
2・24 成田の反対同盟は少年行動隊を前面に出し、公団のガードマンと衝突。ガードマンが子供たちに負傷をおわせる。ガードマンの警備は私設機動隊かと警備の仕方が問題となる。
2・25 成田闘争、機動隊が全共闘学生に先制攻撃。百四十一人が逮捕される。
2・26 成田の砦に立てこもる少年隊に、六校長が「学校に帰れ」と訴える。赤軍派の重信房子さん(当時24歳)がベイルートに出国、また、その二日後には同じく赤軍派の奥平剛士氏が、重信房子さんの夫としてベイルートに出国していたことが、この日判明した。
3・3 成田闘争、機動隊二千三百人が導入、反対派農民と学生を排除、二号地点付近にあった第一トリデを陥落させる。
3・6 成田闘争、五号地点の松の木の梢から、反対派農民の唄う「うさぎおいし……」の歌がスピーカーで流れる中、十三日間に及ぶ新空港公団による代執行が終了する。
3・9 相模原市の団地にある銀行出張所が四人組に襲撃され、百五十万円が強奪される。警視庁は3月11日になって、これを赤軍派のM作戦と断定。
3・21 赤軍派M作戦。宮城県宮城郡泉町の振興相互銀行黒松支店に二人組が押し入り、百十六万円を強奪。
3・25 地下壕に立てこもる農民・学生をパワーショベルとブルドーザーで強制排除。
4・11 コーズダイナマイト百本を持ち歩いていた中京安保共闘男(名古屋市中央郵便局員、20歳)が、火薬類取締法違反容疑で逮捕。
4・16 RG(エルゲー)・赤軍派・京浜安保共闘の三派が「統一革命戦線」を結成していたことが、警視庁の調べで判明。
4・28 沖縄デー。統一行動が実現できず、新左翼系は日比谷公園、明治公園、清水谷公園で各派が分裂集会。各所で交番襲撃など散発的な闘争が繰り広げられた。
5・30 沖縄返還協定調印阻止で、反日共系学生がデモ。交番襲撃などで二百八十一人が逮捕される。
6・17 政府、沖縄返還協定に調印。これに反対して全国四十三都道府県、二百九十六ヶ所に十数万人が参加して実力阻止闘争がおこなわれた。東京では、反帝学評・フロント・ML派などの反中核・沖共闘グループ一万人が宮下公園で、中核派・第四インターが明治公園で集会をもったが、明治公園では赤軍派が原宿口付近で、午後八時五十分ごろ機動隊に向かって鉄パイプ爆弾を投擲し、警官二十六人が負傷。これにより、全共闘運動は、爆弾闘争の時代に突入した。この鉄パイプ爆弾事件で、赤軍派中央軍の少年(17歳)ら二人が殺人未遂容疑などで逮捕されたが、証拠不十分で釈放された。15日から17日までの三日間で、逮捕者は千六十一人にのぼった。
7・15 共産同赤軍派の地下組織「中央軍(RA)」と、日本共産党革命左派神奈川県常任委員会(京浜安保共闘)の地下組織「人民革命軍」が、「革命軍・赤軍」を結成。
7・23 赤軍派M作戦。鳥取県米子市の松江相互銀行に赤軍派の四人組が押し入り、猟銃をつきつけて六百万円を奪い逃走するが、翌朝までに全員が検挙される。使用された猟銃は、京浜安保共闘が真岡市の銃砲店から奪ったものの中の一丁であることが判明した。
7・26 成田空港建設予定地内に残る農民放送塔などの撤去作業はじまる。
8・7 千代田区にある警視総監公舎の玄関脇に手製時限爆弾二個が仕掛けられる。千葉県の成田署の構内にも時限爆破装置が仕掛けられ、爆発したが、負傷者はゼロだった。
8・21 埼玉県朝霞市の陸上自衛隊朝霞駐屯地で、パトロール中の一場哲雄陸士長が刃物で刺殺されているのが発見される。現場には「赤衛軍」と書かれた赤ヘルメットとビラがあった。
9・9 北海道庁の庁舎地下で時限爆破装置が爆発するが、爆発力が弱く機械類には損傷なし。現場には「黒衛軍」のヘルメットが残されていた。
9・25 沖縄青年委員会と中核派の四人が、皇居内の宮内庁にレンタカーで乗りつけ、発煙筒と火炎ビンを投げつけた。彼らのヘルメットには「戦犯天皇決死糾弾」「天皇訪欧反対」などと書かれていた。
10・23 都内の警察署・派出所など六ヶ所に時限爆弾が仕掛けられ、三ヶ所で爆発。
11・10 沖縄返還協定反対闘争で、沖縄では全軍労・県教委・官公労などによる協定粉砕・批准阻止のゼネスト決行。浦添市の米民政府にデモをした。途中、軽微にあたっていた琉球警察機動隊員一名が火炎ビンを浴びて死亡した。本土でも各地で集会やデモが繰り広げられたが、破防法違反容疑で松尾真中核派全学連委員長が逮捕される。
11・14 沖縄返還協定が国会で強行採決のきざしがみえはじめたことに危機感をいだいた労働者・学生は、全国三十二都道府県、八十ヶ所で十万人が結集して、阻止闘争を展開。宮下公園では、集会を禁止された中核派が「渋谷大暴動」を叫んで渋谷の市街地に進撃し、各所で機動隊と衝突した。ことに渋谷神山交番では、中核派の火炎ビン攻撃をうけた警察官が死亡。国電池袋駅では、中核派の学生・労働者が持ち込んだ火炎ビンが炎上、火炎ビンを浴びた中核派反戦青年委の女教師が病院で死亡した。
11・17 沖縄返還協定、衆議院沖縄特別委で強行採決。社会党・共産党・総評によるスト、集会、国会への請願デモ。
11・19 沖縄返還協定粉砕のため、新左翼各派の一万八千人が日比谷公園に結集。公園の各入り口に阻止線を張り封鎖した機動隊と衝突、その余波で、夜になって公園内にあるレストラン「松本楼」が放火され、全焼した。有楽町付近と丸の内周辺で、火炎ビン・バリケード闘争。逮捕者千八百八十六人を出す。8月の赤衛軍事件で、日大生・菊井良治君(22歳)はじめ三人(うち女性一人)が逮捕。さらに元自衛官の駒沢大学生ものちに逮捕。翌1972年1月には、証拠湮滅とリーダーをかくまった容疑で朝日ジャーナル記者・川本三郎氏と週刊プレイボーイ記者が逮捕。京大助手の滝田修氏(本名・竹本信弘)が全国指名手配。
11・22 横浜市内で京浜安保共闘の爆弾製造地下工場が発見、二人逮捕される。
11・24 沖縄返還協定反対集会が三十六都道府県の百五十八ヶ所で開催。代々木公園には十二万人参加。
12・24 新宿・伊勢丹デパート前の四谷署追分派出所裏で、クリスマスツリーに偽装した鉄パイプ爆弾が爆発。警官二人と付近の店員や通行人、十二人が負傷した。

1972年(昭和47年)

11・9 朝、東大付属病院の構内で、パジャマ姿の若い男の死体が発見される。全身アザだらけで、胸、腹、背中に二十数ヵ所の擦過傷、内出血があり、首に六ヵ所、 右腕にも一ヵ所同じような傷があった。死体は、早大文学部二年の川口大三郎氏(20歳)とわかったが、中核派シンパとみなした革マル派の犯行だった。
11・13 早大第一文学部自治会(革マル系)が、文学部中庭で、「11.13反省集会」を開く。ヘルメットを脱いだ長髪の学生が「川口君の死に深く反省し、自己批判する」と演説。事件の責任をとって、革マル全学連委員長を辞任した、馬場素明氏(第一文学部四年)が「徹底的に自己批判し、深く反省する」と訴えたが、一般学生三千人が革マル派幹部六人を連行、翌14日朝まで十八時間におよぶ追及集会を開く。
11・14 革マル派幹部に対する一般学生の追及集会が徹夜のつるし上げになるに及び、大学側の四度目の要請で、機動隊が導入され、六人と一般学生にまじっていた一人の計七人を救出した。
11・15 早大で革マル糾弾集会。民青系と一般学生約千人が参加。
11・16 早大で革マル糾弾集会。田中敏夫・前一文委員長が「自治会活動を進める上で意見の対立は、イデオロギー闘争によって解決し、異なった意見に対して暴力による解決は認められない。現在の学生運動にありがちな暴力行為は使わず、正常な自治会活動をすすめるよう努力したい。しかし、支配階級と被支配階級の間における国家権力の暴力には対決していく」という内容の確約書にサイン。
11・17 川口氏追悼集会が大隈講堂で開かれる。
11・18 早大で革マル糾弾集会。馬場全学連前委員長らが「リコール運動には暴力的敵対はしない。リコールされれば辞任する」旨の確約書にサイン。各学部でリコール署名がスタートする。
11・22 革マル派数十名が「民青の自治会乗っ取り策動粉砕」「三役処分粉砕、自治会室奪還」を叫んで、文学部に乱入。
11・24 革マル七十人が「当局処分撤回、民青による自治会乗っ取り粉砕、自治会室奪還」のための集会。これを革マルの居座りを糾弾する決起集会を開いていた学生たちが、取り囲み、ゴボウ抜きで排除。田中敏夫前委員長ら数名が負傷する。
11・25 前日の田中敏夫前委員長らの負傷を理由に、革マル派二百五十人が全都動員され、早大に乱入。
11・27 早大、革マル派が全国動員し三百名が早大本部前で集会。
11・28 早大、大学当局がロックアウト。革マル派はこれに対抗して、文学部181教室を占拠。一文学生大会は15号館で他学部学生四千人の支援のもとに千五百名を集めて学生大会を開催。革マル執行部をリコールしたのち、臨時執行部9名を選出、暫定規約を採択した。夜には社会科学部も学生大会を開催。革マル派四百名が「学大粉砕」を叫ぶ。大学当局は学生大会の成立を認めないと言明。
11・29 早大、ロックアウトの中で教育学部の学生大会が開催。大隈講堂前で報告集会の後、数千人が規デモ。革マル派は鶴巻公園に五百名が結集した。
11・14 早大、検問体制のなか、政治経済学部学生大会。夜は二文も学生大会を開催。
12・1 早大、商学部学生大会。法学部でも学生大会が行われたが、法学部自治会、民青執行部がリコールされそうになったため、十名足らずの不足を理由に学生集会に切り替えられる。
12・2 早大、第一文学部で各クラス代表によるクラス協議会が発足。革マル派の反撃は個人テロにエスカレートし、これに対抗するために一文行動委員会が結成される。
12・4 川口大三郎氏の母親川口サトさんらが、早大の清水・竹内両理事に対し責任追及。川口サトさんは位牌を「これまでの大学の発言には何の誠意もない。弔慰金なんか受 け取らない。お金より大三郎を返して」と訴える。
12・5 本部前で総長団交総決起集会。千五百名が参加。総長は欠席。学部長が「村井総長に団交への出席を要請する」旨の確約書にサイン。
12・6 村井総長が団交拒否。
12・8 早大、臨時執行部が「寒い冬を越すための大コンサート」を開催。

1973年(昭和48年)

1・7 早大、全学前段階総決起集会。
1・8 早大、学総決起集会。全学行動委員会が黒ヘルを着用。
1・11 早大、政経学部、学部団交。
1・12 早大、団交要求集会。
1・13 早大、一文で自治委員選挙告示。革マル派がバリケード突破し、占拠。
1・16 早大、政経学部、学部団交。
1・17 早大、一文の革マル派が自治委員総会。それに対抗した反革マル部隊が革マルの攻撃を受け、十数名が負傷。
1・18 早大、文学部がロックアウト。これに抗議して行動委員会などが機動隊と衝突、一名逮捕。夕刻、中核派が革マル派と本部正門前で衝突。中核派の六十名が逮捕されるが、革マル派は逮捕者なし。
1・19 早大、革マル派が文連総会。政経学部学生大会。11号館に追いつめられた革マルが投石などで対抗したため、政経学部生一名が頭蓋骨陥没の重傷。その後の乱闘でも三十数名が負傷。
1・20 早大、理工学部を除き全学ロックアウト。革マル派・ノンヘルテロ部隊が2J生などを襲撃。
1・22 早大、政経学部試験阻止闘争に機動隊導入、十五名が逮捕される。
1・23 早大、一文学生大会が千五百名の参加で開催。期末試験をストライキで阻止することを採択。一週間のストライキを決定。
1・24 早大、一文行動委員会を中心にピケストに突入。革マル派とこぜりあい。大学当局は試験延期を決定。
1・25 早大、教育学部学生大会。一文では自治委員総会成立のための定足数を突破。